1: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/29(土) 23:28:12.02 :PusMuPT6O
昼と夜の隙間を貫くような、冷たい風だった。
肘の辺りをさすりながら、静香は舌を唇へとやった。
意識してのことではなかった。乾燥を覚えた時、あるいはそれ以外の時にも、静香には自分の唇を舐める癖があった。
元々は、友人や相棒がよくやる仕種だっただろうか。癖がうつる、というのはどうやら本当のことらしい。
――余計に乾燥するから感心しないわ。
いつか言われたことを思い出す。
コートの右ポケットには愛用のリップクリームが転がっている。以前は女の子らしく鞄の中の更にポーチの中に携帯していたのだけれど、いつの間にかそこが定位置となってしまった。
つつ、とクリームを滑らせる。ぱっぱっ、と唇を合わせて軽く馴染ませる。
わざとらしいくらいの清涼感。
すっ、と鼻が通るような、その瞬間が静香は嫌いではなかった。
ふぅ。
一つ、大きく息を吐く。
――その程度なの、静香。
突き刺すような視線が、静香を冷たく焦がしている。
本番の日が、近付いていた。
昼と夜の隙間を貫くような、冷たい風だった。
肘の辺りをさすりながら、静香は舌を唇へとやった。
意識してのことではなかった。乾燥を覚えた時、あるいはそれ以外の時にも、静香には自分の唇を舐める癖があった。
元々は、友人や相棒がよくやる仕種だっただろうか。癖がうつる、というのはどうやら本当のことらしい。
――余計に乾燥するから感心しないわ。
いつか言われたことを思い出す。
コートの右ポケットには愛用のリップクリームが転がっている。以前は女の子らしく鞄の中の更にポーチの中に携帯していたのだけれど、いつの間にかそこが定位置となってしまった。
つつ、とクリームを滑らせる。ぱっぱっ、と唇を合わせて軽く馴染ませる。
わざとらしいくらいの清涼感。
すっ、と鼻が通るような、その瞬間が静香は嫌いではなかった。
ふぅ。
一つ、大きく息を吐く。
――その程度なの、静香。
突き刺すような視線が、静香を冷たく焦がしている。
本番の日が、近付いていた。
2: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/29(土) 23:32:20.00 :PusMuPT6O
◇
「静香、新曲だ」
未来、翼、それに静香の三人、レッスンまでの時間を控え室で過ごしていた。
プロデューサーの言葉はいつも唐突だ。静香は改めてそう思う。
「わー! 静香ちゃん、新曲だって! すごいすごーい!」
と、まるで自分のことのように嬉しそうな未来。
「えー! プロデューサーさん、静香ちゃんだけですかー?」
ずるいずるい。口にするのは翼。
そんな二人の様子に、プロデューサーは、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「今回は、な。未来と翼の新曲についても、実は、もう動き出してるから」
期待して待っててくれ。
やったー、と二人手を合わせて喜ぶ未来と翼。
そしてそんな二人を見ながら楽しそうなプロデューサー。
未来と翼は良い。でも、大人であるはずの彼のそんな茶目っ気が、静香はあまり好きではなかった。
◇
「静香、新曲だ」
未来、翼、それに静香の三人、レッスンまでの時間を控え室で過ごしていた。
プロデューサーの言葉はいつも唐突だ。静香は改めてそう思う。
「わー! 静香ちゃん、新曲だって! すごいすごーい!」
と、まるで自分のことのように嬉しそうな未来。
「えー! プロデューサーさん、静香ちゃんだけですかー?」
ずるいずるい。口にするのは翼。
そんな二人の様子に、プロデューサーは、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「今回は、な。未来と翼の新曲についても、実は、もう動き出してるから」
期待して待っててくれ。
やったー、と二人手を合わせて喜ぶ未来と翼。
そしてそんな二人を見ながら楽しそうなプロデューサー。
未来と翼は良い。でも、大人であるはずの彼のそんな茶目っ気が、静香はあまり好きではなかった。
3: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/29(土) 23:33:39.10 :PusMuPT6O
「……プロデューサー、新曲の話を聞かせてください」
「悪い悪い。今回静香に歌ってもらうのは……」
「「もらうのは?」」
「そういうのいいですから。未来と翼も簡単に乗せられないの」
「「はーい」」
「ぐ……」
相変わらず子どもっぽい。
静香は心の中でため息をつく。
まったく、この人はいつになったらしっかりしてくれるのだろう。
……やる時はやる人だということぐらいは、分かっているのだけど。
「静香、今回は、またデュオ曲を用意した」
「デュオ……『D/Zeal』の時みたいに、ですか?」
「そうだ。相方は――千早」
今度は、さらりと、爆弾を落とした。
「……プロデューサー、新曲の話を聞かせてください」
「悪い悪い。今回静香に歌ってもらうのは……」
「「もらうのは?」」
「そういうのいいですから。未来と翼も簡単に乗せられないの」
「「はーい」」
「ぐ……」
相変わらず子どもっぽい。
静香は心の中でため息をつく。
まったく、この人はいつになったらしっかりしてくれるのだろう。
……やる時はやる人だということぐらいは、分かっているのだけど。
「静香、今回は、またデュオ曲を用意した」
「デュオ……『D/Zeal』の時みたいに、ですか?」
「そうだ。相方は――千早」
今度は、さらりと、爆弾を落とした。
4: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/29(土) 23:35:23.70 :PusMuPT6O
「へ?」
静香が呆気に取られた声を出す。
今、プロデューサーは何と言った?
相方は、千早?
千早って、あの、千早さん?
と、二人で?
「千早さんと!? すごい! すごいすごーい!」
「静香ちゃん、千早さんに憧れてるって言ってたもんね! いいないいなー」
「え、ええええええええええ!?」
静香の絶叫が、劇場内を駆け巡った。
「へ?」
静香が呆気に取られた声を出す。
今、プロデューサーは何と言った?
相方は、千早?
千早って、あの、千早さん?
と、二人で?
「千早さんと!? すごい! すごいすごーい!」
「静香ちゃん、千早さんに憧れてるって言ってたもんね! いいないいなー」
「え、ええええええええええ!?」
静香の絶叫が、劇場内を駆け巡った。
5: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/29(土) 23:36:20.99 :PusMuPT6O
◇
大丈夫。
事前にしっかり練習してきた。
楽譜も完全に頭に入れて、ピアノでも弾けるようになった。
『D/Zeal』での経験もある。
初めての二人揃ってのレッスンを前にして、静香は、言い聞かせるように一つ一つ自分の行いを確認した。
今の自分を千早に見てもらう。
そして、あわよくば、認めてもらうんだ。
どきどきと共に、わくわくとした感情を確かに静香は覚えていた。
◇
大丈夫。
事前にしっかり練習してきた。
楽譜も完全に頭に入れて、ピアノでも弾けるようになった。
『D/Zeal』での経験もある。
初めての二人揃ってのレッスンを前にして、静香は、言い聞かせるように一つ一つ自分の行いを確認した。
今の自分を千早に見てもらう。
そして、あわよくば、認めてもらうんだ。
どきどきと共に、わくわくとした感情を確かに静香は覚えていた。
6: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/29(土) 23:37:16.49 :PusMuPT6O
ガチャ、と扉の開く音がした。
振り向くと、そこにトレーニングウェアを着た千早の姿があった。
――空気が、違う。
「ごめんなさい、遅れたわ」
「い、いえ、まだ時間前ですし……」
千早が入って来た瞬間から、ピリピリとした何かを、静香は感じていた。
いつもの千早さんじゃない?
一人黙々とストレッチを始める千早に声をかけようとしたけれど、結局、それは叶わなかった。
ちらちらと様子を窺う静香に、千早が気付いていないとは思えなかった。普段の彼女なら、そんな静香に一声二声とかけて緊張を解してくれるはずだった。
ガチャ、と扉の開く音がした。
振り向くと、そこにトレーニングウェアを着た千早の姿があった。
――空気が、違う。
「ごめんなさい、遅れたわ」
「い、いえ、まだ時間前ですし……」
千早が入って来た瞬間から、ピリピリとした何かを、静香は感じていた。
いつもの千早さんじゃない?
一人黙々とストレッチを始める千早に声をかけようとしたけれど、結局、それは叶わなかった。
ちらちらと様子を窺う静香に、千早が気付いていないとは思えなかった。普段の彼女なら、そんな静香に一声二声とかけて緊張を解してくれるはずだった。
7: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/29(土) 23:38:26.85 :PusMuPT6O
レッスンコーチ、そしてプロデューサーが入室する。
千早が立ち上がり、一礼。
静香も慌ててそれに続いた。
「今度の曲は、ライブが初披露となる。その意味が、分かるな?」
プロデューサーの言葉に、
「はい」と、千早。
「は、はい」と、静香。
「コーチには、普段以上に厳しく、とお願いしてある」
「望む所です」
「が、頑張ります」
よし、とプロデューサーが頷いた。
コーチが二人の前に出る。
「始めよう。如月、最上、もちろん、準備はできているな?」
唇が冷たい。
静香の瞳が、怯えるように揺れている。
レッスンコーチ、そしてプロデューサーが入室する。
千早が立ち上がり、一礼。
静香も慌ててそれに続いた。
「今度の曲は、ライブが初披露となる。その意味が、分かるな?」
プロデューサーの言葉に、
「はい」と、千早。
「は、はい」と、静香。
「コーチには、普段以上に厳しく、とお願いしてある」
「望む所です」
「が、頑張ります」
よし、とプロデューサーが頷いた。
コーチが二人の前に出る。
「始めよう。如月、最上、もちろん、準備はできているな?」
唇が冷たい。
静香の瞳が、怯えるように揺れている。
8: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/29(土) 23:40:46.35 :PusMuPT6O
◇
「……で、あたしの所に相談に来た、と」
「……はい。すいません。ジュリアさんもお忙しいのに」
「バカ、謝んなって。ユニットとしての活動は多少減ったとはいえ、シズは今でもあたしの相棒なんだから」
「ジュリアさん……ありがとうございます」
千早と二人でのレッスンは、なかなか静香の思うようには進まなかった。
萎縮している、という自覚はあった。そうして歌えば歌う程に、千早との差が感じられて、更に自分が小さくなって行くような悪循環に陥っていた。
「心配しなくても、チハは、あいつは、シズのことを認めてるよ」
「で、でも、レッスン中、全然声もかけてくれなくて……それに……」
◇
「……で、あたしの所に相談に来た、と」
「……はい。すいません。ジュリアさんもお忙しいのに」
「バカ、謝んなって。ユニットとしての活動は多少減ったとはいえ、シズは今でもあたしの相棒なんだから」
「ジュリアさん……ありがとうございます」
千早と二人でのレッスンは、なかなか静香の思うようには進まなかった。
萎縮している、という自覚はあった。そうして歌えば歌う程に、千早との差が感じられて、更に自分が小さくなって行くような悪循環に陥っていた。
「心配しなくても、チハは、あいつは、シズのことを認めてるよ」
「で、でも、レッスン中、全然声もかけてくれなくて……それに……」
9: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/29(土) 23:41:50.09 :PusMuPT6O
――その程度なの、静香。
初日のレッスン終了後、千早からかけられた言葉が、鋭い視線が、頭から離れない。
――その程度なの、静香。
初日のレッスン終了後、千早からかけられた言葉が、鋭い視線が、頭から離れない。
10: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/29(土) 23:44:02.83 :PusMuPT6O
「期待の表れだって言っても、シズは納得しないよな?」
「……すいません。どうしてもそうは思えなくて」
これまでの優しい千早とのギャップが、静香を悩ませていた。
自分が悩む時にはいつもアドバイスをくれた。導いてくれた。
その千早が、今は、無言で自分を見つめている。
何か、千早の気に入らないことをしてしまったのではないか。そもそも、最初から自分の力量に納得していないのではないか。
やっぱり、
「やっぱり、千早さんは、ジュリアさんとの方が――」
「ストップ。シズ、その先は言っちゃダメだ。絶対に」
「あ……ご、ごめんなさい……」
謝ってばかりだ。
静香は思う。
「まったく、チハもチハだぜ。シズをこんなに悩ませて……」
「いえ、千早さんは……」
「はぁ。不器用なんだよな、あいつ」
バカみたいに。
ジュリアの言葉に、静香は答える術を持たなかった。
「期待の表れだって言っても、シズは納得しないよな?」
「……すいません。どうしてもそうは思えなくて」
これまでの優しい千早とのギャップが、静香を悩ませていた。
自分が悩む時にはいつもアドバイスをくれた。導いてくれた。
その千早が、今は、無言で自分を見つめている。
何か、千早の気に入らないことをしてしまったのではないか。そもそも、最初から自分の力量に納得していないのではないか。
やっぱり、
「やっぱり、千早さんは、ジュリアさんとの方が――」
「ストップ。シズ、その先は言っちゃダメだ。絶対に」
「あ……ご、ごめんなさい……」
謝ってばかりだ。
静香は思う。
「まったく、チハもチハだぜ。シズをこんなに悩ませて……」
「いえ、千早さんは……」
「はぁ。不器用なんだよな、あいつ」
バカみたいに。
ジュリアの言葉に、静香は答える術を持たなかった。
11: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/29(土) 23:46:52.17 :PusMuPT6O
◇
「しーずーかーちゃん!」
何をするでもなく、控え室で物思いにふける静香に声をかけたのは、春香だった。
「春香さん?」
「新曲の具合はどう?」
「……ええと、その……」
上手く行っていない、と正直に答えることはできなかった。
「……なんて。ごめんね、ちょっとだけ、ジュリアちゃんから聞いてるんだ」
「ジュリアさんから?」
「うん。それで、静香ちゃんとお話がしたいなって思ったの」
春香と千早が親友同士の関係であることは、身内を飛び越えて、ファンにまで知られていることだった。
その春香が、自分に話がある、という。
静香がつい姿勢を正して身構えてしまったのも、無理はないことだっただろう。
◇
「しーずーかーちゃん!」
何をするでもなく、控え室で物思いにふける静香に声をかけたのは、春香だった。
「春香さん?」
「新曲の具合はどう?」
「……ええと、その……」
上手く行っていない、と正直に答えることはできなかった。
「……なんて。ごめんね、ちょっとだけ、ジュリアちゃんから聞いてるんだ」
「ジュリアさんから?」
「うん。それで、静香ちゃんとお話がしたいなって思ったの」
春香と千早が親友同士の関係であることは、身内を飛び越えて、ファンにまで知られていることだった。
その春香が、自分に話がある、という。
静香がつい姿勢を正して身構えてしまったのも、無理はないことだっただろう。
12: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/29(土) 23:47:57.27 :PusMuPT6O
「待って待って。違うの、そんなに堅苦しいことじゃなくて」
あわあわ、と慌てるように春香は続けた。
「えーと、そうだ、ちょーっと待っててね。すぐ戻るから」
言うと、春香は、控え室を飛び出し、
……あいたっ!
そんな声を響かせながらどこかに消えた。
「春香さん……?」
何だったのだろう。
まったく事情を飲み込めない静香の元に、春香が戻ってきたのは宣言通り、すぐのことだった。
片手に、美希の手を引いて。
「ほら、美希、美希連れてきたから! 大丈夫だよ!」
更によく分からなくなった。
何が大丈夫なのだろう。
「待って待って。違うの、そんなに堅苦しいことじゃなくて」
あわあわ、と慌てるように春香は続けた。
「えーと、そうだ、ちょーっと待っててね。すぐ戻るから」
言うと、春香は、控え室を飛び出し、
……あいたっ!
そんな声を響かせながらどこかに消えた。
「春香さん……?」
何だったのだろう。
まったく事情を飲み込めない静香の元に、春香が戻ってきたのは宣言通り、すぐのことだった。
片手に、美希の手を引いて。
「ほら、美希、美希連れてきたから! 大丈夫だよ!」
更によく分からなくなった。
何が大丈夫なのだろう。
13: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/29(土) 23:48:54.90 :PusMuPT6O
「もう、春香、何なの?」
「美希も知ってるでしょ? 今度の千早ちゃんと静香ちゃんの新曲!」
「それは、知ってるけど……」
「そ、それで、私一人だと静香ちゃんも話し辛そうだったから、美希がいれば」
「あ、分かった。また春香がお節介焼こうとしてるの」
「お節介って……ち、違わないけど、違うから!」
もはや、静香の混乱は極まっていた。
春香の言葉も、美希の言葉も、何一つ頭には入ってこない。
「もう、春香、何なの?」
「美希も知ってるでしょ? 今度の千早ちゃんと静香ちゃんの新曲!」
「それは、知ってるけど……」
「そ、それで、私一人だと静香ちゃんも話し辛そうだったから、美希がいれば」
「あ、分かった。また春香がお節介焼こうとしてるの」
「お節介って……ち、違わないけど、違うから!」
もはや、静香の混乱は極まっていた。
春香の言葉も、美希の言葉も、何一つ頭には入ってこない。
14: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/29(土) 23:50:35.99 :PusMuPT6O
「あ、あのね、静香ちゃん!」
と、春香は静香に再び切り出す。
「は、はい」
「静香ちゃんから見て、千早ちゃんってどういう女の子、かな?」
「それは……」
少し、考えてから、静香は続ける。
「歌が上手で、凜としていて、それに気配りもできて、いつも優しい、私の憧れの先輩で……」
「へぇ」と、面白そうに聞いているのは美希だった。
「なるほどなるほど」
嬉しそうに、春香が頷く。
「あ、あのね、静香ちゃん!」
と、春香は静香に再び切り出す。
「は、はい」
「静香ちゃんから見て、千早ちゃんってどういう女の子、かな?」
「それは……」
少し、考えてから、静香は続ける。
「歌が上手で、凜としていて、それに気配りもできて、いつも優しい、私の憧れの先輩で……」
「へぇ」と、面白そうに聞いているのは美希だった。
「なるほどなるほど」
嬉しそうに、春香が頷く。
15: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/29(土) 23:56:26.03 :PusMuPT6O
「千早ちゃん、優しいよね」
「はい」
「でも、今の千早ちゃんは、優しくなくて……」
「……」
静香は沈黙で返答する。
「……でもね。それが、千早ちゃんなりの優しさなんだよ」
優しくないのが、優しさ。
「……ごめんなさい、よく、分かりません」
「ええと、これ以上は出来れば静香ちゃん自身に気付いて欲しいっていうか……美希は、分かるよね?」
「春香は回りくどいって思うな」
「うぐ」
「千早ちゃん、優しいよね」
「はい」
「でも、今の千早ちゃんは、優しくなくて……」
「……」
静香は沈黙で返答する。
「……でもね。それが、千早ちゃんなりの優しさなんだよ」
優しくないのが、優しさ。
「……ごめんなさい、よく、分かりません」
「ええと、これ以上は出来れば静香ちゃん自身に気付いて欲しいっていうか……美希は、分かるよね?」
「春香は回りくどいって思うな」
「うぐ」
16: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/29(土) 23:57:56.78 :PusMuPT6O
「あのね、静香」
と、今度は美希が静香に語りかける。
「千早さん、怖いよね」
「……はい」
「ミキもね、その気持ち、すごく分かるの」
「え? 美希さん……が?」
おおよそ何をやっても人以上にこなしてみせる美希のことを、静香は天才だと思っていたし、世間からの評価もそういったものだった。
そんな美希が、慕っているはずの千早のことを怖い、と言う。
「ミキならこれぐらいできて当然だって、千早さん、平気で決め付けてくるの。ぼーじゃくぶじんって思うな」
美希は続ける。
「それで、できたらもちろん褒めてくれるんだけど、次の時はもっと上になってて、もうキリが無いの!」
静香にも、少し、分かる気がした。
自分にも、他人にも、求めるものが高い。それが静香の知る千早だった。
「怖い人なの、千早さんは」
怖いと言いながら、でも、美希は笑って。
「そんなぼーじゃくぶじんな千早さんを、ガッカリさせたくない。結局いつもそう思っちゃうのが、本当に怖いところなの」
ずるいよね。
美希の言葉に、何を言うこともできず、ただ、こく、と頷いた。
「あのね、静香」
と、今度は美希が静香に語りかける。
「千早さん、怖いよね」
「……はい」
「ミキもね、その気持ち、すごく分かるの」
「え? 美希さん……が?」
おおよそ何をやっても人以上にこなしてみせる美希のことを、静香は天才だと思っていたし、世間からの評価もそういったものだった。
そんな美希が、慕っているはずの千早のことを怖い、と言う。
「ミキならこれぐらいできて当然だって、千早さん、平気で決め付けてくるの。ぼーじゃくぶじんって思うな」
美希は続ける。
「それで、できたらもちろん褒めてくれるんだけど、次の時はもっと上になってて、もうキリが無いの!」
静香にも、少し、分かる気がした。
自分にも、他人にも、求めるものが高い。それが静香の知る千早だった。
「怖い人なの、千早さんは」
怖いと言いながら、でも、美希は笑って。
「そんなぼーじゃくぶじんな千早さんを、ガッカリさせたくない。結局いつもそう思っちゃうのが、本当に怖いところなの」
ずるいよね。
美希の言葉に、何を言うこともできず、ただ、こく、と頷いた。
17: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/30(日) 00:26:21.87 :+e3phmGi0
◇
ステージの裏は、様々な音に溢れていた。
今まさに舞台から流れてくる歌声、音楽。ファンの声援。そしてそれを支えるスタッフの細かなやり取り。行き来激しくいくつも重なる足音。出番を終え抱き合うアイドルと、迫る自曲を小さく口ずさむアイドル。
その喧騒が、静香は嫌いではなかった。
ライブという非日常の世界の中に、自分が確かに存在しているのだと実感する。
用意された椅子に浅く座り、目を瞑り、その一つ一つの音に耳を傾ける。
そうしてから、今度はその全てを排して奥へ奥へと意識を集中させる。
歌えるだろうか。
小さくない不安が、未だ、静香の中を燻っていた。
結局、千早とは満足に話ができないまま、今へと至っていた。彼女は意識的に静香のことを避けているようだった。
これまで、ライブの前には必ず優しい言葉をかけてくれるのが、如月千早という先輩だった。
千早ちゃん、優しいよね。
春香の言葉を思い出す。
静香ならやれるわ、大丈夫。
憧れの人からの一言にいつも救われ、前を向くことができた。
◇
ステージの裏は、様々な音に溢れていた。
今まさに舞台から流れてくる歌声、音楽。ファンの声援。そしてそれを支えるスタッフの細かなやり取り。行き来激しくいくつも重なる足音。出番を終え抱き合うアイドルと、迫る自曲を小さく口ずさむアイドル。
その喧騒が、静香は嫌いではなかった。
ライブという非日常の世界の中に、自分が確かに存在しているのだと実感する。
用意された椅子に浅く座り、目を瞑り、その一つ一つの音に耳を傾ける。
そうしてから、今度はその全てを排して奥へ奥へと意識を集中させる。
歌えるだろうか。
小さくない不安が、未だ、静香の中を燻っていた。
結局、千早とは満足に話ができないまま、今へと至っていた。彼女は意識的に静香のことを避けているようだった。
これまで、ライブの前には必ず優しい言葉をかけてくれるのが、如月千早という先輩だった。
千早ちゃん、優しいよね。
春香の言葉を思い出す。
静香ならやれるわ、大丈夫。
憧れの人からの一言にいつも救われ、前を向くことができた。
18: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/30(日) 00:27:12.99 :+e3phmGi0
しかし、今回は、違う。
千早さん、怖いよね。
美希の言葉を思い出す。
その程度なの、静香。
射抜くような目だった。
憧れの人を、初めて怖いと思った。
手の震えを自覚する。冷たい。脚に、喉に、唇にまでその震えは伝わっていく。
しかし、今回は、違う。
千早さん、怖いよね。
美希の言葉を思い出す。
その程度なの、静香。
射抜くような目だった。
憧れの人を、初めて怖いと思った。
手の震えを自覚する。冷たい。脚に、喉に、唇にまでその震えは伝わっていく。
19: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/30(日) 00:28:40.97 :+e3phmGi0
「3分前です。準備をお願いします」
スタッフの言葉に、はっと目蓋を開ける。
ネガティブな感情も、身体の震えも一向に収まりそうにはない。
それでも、出番が来たのならばファンの前で歌わなければならない。そういう世界の、そういう存在に、静香はなったのだから。
立ち上がる。
深呼吸を一つ。
二つ。
顔を上げる。
前を向く。
「…………千早、さん」
あの人の姿が目に入った。
凜、と千早は立っていた。ステージから漏れ聞こえる熱気に向き合うように、受け止めるように、あるいは立ち向かうように。
静香が、憧れた、如月千早だった。
その強さを美しいと思った。羨ましいと思った。
遠い。
そう感じた。
「3分前です。準備をお願いします」
スタッフの言葉に、はっと目蓋を開ける。
ネガティブな感情も、身体の震えも一向に収まりそうにはない。
それでも、出番が来たのならばファンの前で歌わなければならない。そういう世界の、そういう存在に、静香はなったのだから。
立ち上がる。
深呼吸を一つ。
二つ。
顔を上げる。
前を向く。
「…………千早、さん」
あの人の姿が目に入った。
凜、と千早は立っていた。ステージから漏れ聞こえる熱気に向き合うように、受け止めるように、あるいは立ち向かうように。
静香が、憧れた、如月千早だった。
その強さを美しいと思った。羨ましいと思った。
遠い。
そう感じた。
20: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/30(日) 00:29:55.98 :+e3phmGi0
と。
不意に、千早が振り返った。
視線がぶつかる。
こつ、こつ、こつ。千早はゆっくりと静香の方に向かってくる。
まっすぐに、静香を見つめていた。
その瞳から、静香は逃げたかった。でも、逃げたくなかった。
そこから逃げてしまえば、二度と自分はアイドルも千早の後輩も名乗れないような気がした。
千早の足が止まる。
肩と肩とがぶつかりそうな距離だった。
「……千早さん」
耳元で何か優しい声をかけてくれるのだろうか。
淡い期待が無かったと言えば嘘になる。
しかし、千早は――
――ばし、と力強く、静香の背中を叩いたのだった。
思いがけない衝撃に、よろめきそうになる。
千早さん、と声をかけ、意図を伺おうとして、
と。
不意に、千早が振り返った。
視線がぶつかる。
こつ、こつ、こつ。千早はゆっくりと静香の方に向かってくる。
まっすぐに、静香を見つめていた。
その瞳から、静香は逃げたかった。でも、逃げたくなかった。
そこから逃げてしまえば、二度と自分はアイドルも千早の後輩も名乗れないような気がした。
千早の足が止まる。
肩と肩とがぶつかりそうな距離だった。
「……千早さん」
耳元で何か優しい声をかけてくれるのだろうか。
淡い期待が無かったと言えば嘘になる。
しかし、千早は――
――ばし、と力強く、静香の背中を叩いたのだった。
思いがけない衝撃に、よろめきそうになる。
千早さん、と声をかけ、意図を伺おうとして、
21: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/30(日) 00:31:13.59 :+e3phmGi0
http://fsm.vip2ch.com/-/hirame/hira161010.png
「本気でかかって来なさい、静香」
http://fsm.vip2ch.com/-/hirame/hira161010.png
「本気でかかって来なさい、静香」
22: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/30(日) 00:32:10.32 :+e3phmGi0
静かな、だが、確かな熱のこもった千早の一言が。
静香を、まっすぐ、貫いた。
静かな、だが、確かな熱のこもった千早の一言が。
静香を、まっすぐ、貫いた。
23: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/30(日) 00:32:59.46 :+e3phmGi0
こつ、こつ、こつ。遠ざかる千早の足音が聴こえる。
30秒前です。促すスタッフの声もどこか遠く。
背中から、そして胸の辺りから、熱い何かが全身を駆け巡るようだった。
身体の震えは相変わらずだったけど、それはさっきまでの冷たい震えとは違う何かだった。
意識したわけでもないのに、口角が上がっていた。
ぺろ、と唇を舐める。
あの千早が、憧れた人が、言ったのだ。
本気でかかって来い、と。
ただ、自分のみに向けて!
どうして忘れていたのだろう。
『D/Zeal』としてジュリアと向き合った時、確かに抱いたはずの感覚を、ようやくにして静香は思い出した。
あの時と同様、いや、それ以上に好戦的な気持ちがふつふつと湧いて来る。
本気でぶつかってやる。
やってやる。
負けない。
絶対に負けない。
例え、あなたが相手だって――
こつ、こつ、こつ。遠ざかる千早の足音が聴こえる。
30秒前です。促すスタッフの声もどこか遠く。
背中から、そして胸の辺りから、熱い何かが全身を駆け巡るようだった。
身体の震えは相変わらずだったけど、それはさっきまでの冷たい震えとは違う何かだった。
意識したわけでもないのに、口角が上がっていた。
ぺろ、と唇を舐める。
あの千早が、憧れた人が、言ったのだ。
本気でかかって来い、と。
ただ、自分のみに向けて!
どうして忘れていたのだろう。
『D/Zeal』としてジュリアと向き合った時、確かに抱いたはずの感覚を、ようやくにして静香は思い出した。
あの時と同様、いや、それ以上に好戦的な気持ちがふつふつと湧いて来る。
本気でぶつかってやる。
やってやる。
負けない。
絶対に負けない。
例え、あなたが相手だって――
24: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/30(日) 00:41:09.83 :+e3phmGi0
◇
観客から見て左側から千早が、右側から静香がゆっくりと姿を見せた。
二人の、否、千早の登場に、小さなざわめきが起こる。
ただそこにいるだけでファンに特別な何かを思わせる、それがライブにおける歌姫如月千早という存在だった。
千早に注目が集まる。
予想していたことだった。当然のことだった。普段なら嬉しいとさえ感じることだった。
だけど、静香は、
それを、初めて、悔しいと思った。
「私たちの新曲です」と、千早。
「聞いてください」と、静香が続ける。
前口上は、ただ、それだけで。
◇
観客から見て左側から千早が、右側から静香がゆっくりと姿を見せた。
二人の、否、千早の登場に、小さなざわめきが起こる。
ただそこにいるだけでファンに特別な何かを思わせる、それがライブにおける歌姫如月千早という存在だった。
千早に注目が集まる。
予想していたことだった。当然のことだった。普段なら嬉しいとさえ感じることだった。
だけど、静香は、
それを、初めて、悔しいと思った。
「私たちの新曲です」と、千早。
「聞いてください」と、静香が続ける。
前口上は、ただ、それだけで。
25: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/30(日) 00:41:51.18 :+e3phmGi0
静香千早「「アライブファクター」」
静香千早「「アライブファクター」」
26: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/30(日) 00:42:20.48 :+e3phmGi0
二人の声が重なり、
蒼の光と音楽が、会場を満たして行く。
二人の声が重なり、
蒼の光と音楽が、会場を満たして行く。
27: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/30(日) 00:42:55.06 :+e3phmGi0
……すげぇ。
誰かの声が漏れた。
……なんだ、これ。
別の誰かが呆然と呟いた。
そして、それは、会場の総意に近いものだった。
歌いだしは静香。
第一声、否、第一音から、観客を圧倒する力強い歌声だった。
一部ファンの間で「蒼の系譜」「千早の後継」と囁かれる彼女の実力は、先の『D/Zeal』としての活動も含めようようにして認められたものではあった。
しかし、今の静香は、その誰の想像をも上回る。
千早が続く。
765プロの、日本の歌姫と名高い彼女の歌声は、静香に劣らぬ強さを感じさせる、ファンの期待する声色そのものであった。
二人の歌声が重なる。
互いの存在を確かめあうような、あるいは牽制しあうような。
ちらちらと互いを意識しながら、二つの声を収束させていく。
静香が歌う。
千早が歌う。
二人の歌声が再び重なりあう。
……千早ちゃんが……押されてる?
ぽつり。ふと、誰かが驚愕と共に漏らした。
殊に、歌という分野において、如月千早は絶対的な存在だった。
歌唱力に優れたアイドルは数多あれど、一般に、歌姫と称されるのは千早ただ一人。
その千早が、今、確かに、最上静香という後輩のアイドルの歌声に押されていた。
信じられない。信じたくない。そう思う観客は一人二人ではなく。
一方で、千早が、笑みを浮かべたことに気付いた観客も少なくなかった。
間奏が入る。
静香と千早の視線が交錯する。
珍しく……本当に珍しいことに、千早が率先して観客を煽った。
静香も少し遅れてそれに続く。初披露のはずの曲に、会場は異様な盛り上がりを見せる。
もっと熱を。
蒼く冷たい熱を――
……すげぇ。
誰かの声が漏れた。
……なんだ、これ。
別の誰かが呆然と呟いた。
そして、それは、会場の総意に近いものだった。
歌いだしは静香。
第一声、否、第一音から、観客を圧倒する力強い歌声だった。
一部ファンの間で「蒼の系譜」「千早の後継」と囁かれる彼女の実力は、先の『D/Zeal』としての活動も含めようようにして認められたものではあった。
しかし、今の静香は、その誰の想像をも上回る。
千早が続く。
765プロの、日本の歌姫と名高い彼女の歌声は、静香に劣らぬ強さを感じさせる、ファンの期待する声色そのものであった。
二人の歌声が重なる。
互いの存在を確かめあうような、あるいは牽制しあうような。
ちらちらと互いを意識しながら、二つの声を収束させていく。
静香が歌う。
千早が歌う。
二人の歌声が再び重なりあう。
……千早ちゃんが……押されてる?
ぽつり。ふと、誰かが驚愕と共に漏らした。
殊に、歌という分野において、如月千早は絶対的な存在だった。
歌唱力に優れたアイドルは数多あれど、一般に、歌姫と称されるのは千早ただ一人。
その千早が、今、確かに、最上静香という後輩のアイドルの歌声に押されていた。
信じられない。信じたくない。そう思う観客は一人二人ではなく。
一方で、千早が、笑みを浮かべたことに気付いた観客も少なくなかった。
間奏が入る。
静香と千早の視線が交錯する。
珍しく……本当に珍しいことに、千早が率先して観客を煽った。
静香も少し遅れてそれに続く。初披露のはずの曲に、会場は異様な盛り上がりを見せる。
もっと熱を。
蒼く冷たい熱を――
28: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/30(日) 00:44:03.52 :+e3phmGi0
間奏が終わり、今度の歌いだしは、千早。
直前、横目に静香を見やってから、
――とん、と千早が翔んだ。
そうして、抑えきれない激情を無理やり押し留めるように、深く着地をする。
膝が地面に着きそうな程の低い体勢から、一度下げた頭を正面の客席へと向ける。
顔つきが、違った。
修羅のような、敵(かたき)を捉えた武人のような、おおよそアイドルには似つかわしくない獰猛な眼光。
その第一声、第一音に、観客は――そして静香は、魂を掴まれるような衝撃を受けた。
誰の記憶の千早にも無い、どこまでも荒々しく力強い歌声、いや、叫びだった。
全方位へと向けられた刃が会場を切り裂いて、ざわめきさえも立ち消える。
不器用なんだよな、あいつ。
それが、千早ちゃんなりの優しさなんだよ。
怖い人なの、千早さんは。
ああ、確かに、あなたは――
千早の歌声に誰もが声を飲み込んでしまった中で、
しかし、静香は、
同じく、雄叫びのような歌声で応えてみせた。
千早の苛烈な一振りに対し、怯むことも無く果敢に噛み付いていく。
あの千早が、遠い憧れだった如月千早が、形振り構わず静香に対している。そのことが、言葉にならない程嬉しかった。
ぺろ、と唇を舐める。
自然と、ギアが上がった。
これ以上は無いと振り絞っていた歌声の、更に向こう側へ。
引かない。
負けたくない。
私の本気で、あの人に――
間奏が終わり、今度の歌いだしは、千早。
直前、横目に静香を見やってから、
――とん、と千早が翔んだ。
そうして、抑えきれない激情を無理やり押し留めるように、深く着地をする。
膝が地面に着きそうな程の低い体勢から、一度下げた頭を正面の客席へと向ける。
顔つきが、違った。
修羅のような、敵(かたき)を捉えた武人のような、おおよそアイドルには似つかわしくない獰猛な眼光。
その第一声、第一音に、観客は――そして静香は、魂を掴まれるような衝撃を受けた。
誰の記憶の千早にも無い、どこまでも荒々しく力強い歌声、いや、叫びだった。
全方位へと向けられた刃が会場を切り裂いて、ざわめきさえも立ち消える。
不器用なんだよな、あいつ。
それが、千早ちゃんなりの優しさなんだよ。
怖い人なの、千早さんは。
ああ、確かに、あなたは――
千早の歌声に誰もが声を飲み込んでしまった中で、
しかし、静香は、
同じく、雄叫びのような歌声で応えてみせた。
千早の苛烈な一振りに対し、怯むことも無く果敢に噛み付いていく。
あの千早が、遠い憧れだった如月千早が、形振り構わず静香に対している。そのことが、言葉にならない程嬉しかった。
ぺろ、と唇を舐める。
自然と、ギアが上がった。
これ以上は無いと振り絞っていた歌声の、更に向こう側へ。
引かない。
負けたくない。
私の本気で、あの人に――
29: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/30(日) 00:44:59.01 :+e3phmGi0
……闘ってる。
誰かが小さく呟いた。
聞こえた人間の全てが同意するものだった。
デュオだった。
だが、デュオと表現するのが躊躇われるような二人の歌唱だった。
もはやそれは、歌を介した闘いだった。
本来ならばあるまじきことに、観客さえも意識することなく、ただただ互いに歌という暴力で殴り合っているような光景だった。
二人が中央へと歩み寄る。
歌声が、重なる。
二倍どころではない。共鳴する。三倍にも四倍にも感じられる声の圧力。
びりびりと身体の真ん中にまで響く歌声だった。割れんばかりの、とはよく使われる表現ではあるが、本当に物理的に会場が割れてしまうのではないか、観客にそう思わせる程の圧倒的な力強さだった。
盛り上がる程に冷たくなっていくような、異様な興奮が彼らを包みこんでいた。
如月千早の相手役としての最上静香。当初そう考えていたファンでさえ、ここに至って、二人は「如月千早と最上静香」として、対等の立場でステージに立っているのだと理解した。
静香の刃は、確かに千早へと、観客へと届いていた。
如月千早をも超え得る存在。
とうとう、最上静香はそう認められたのだった。
……闘ってる。
誰かが小さく呟いた。
聞こえた人間の全てが同意するものだった。
デュオだった。
だが、デュオと表現するのが躊躇われるような二人の歌唱だった。
もはやそれは、歌を介した闘いだった。
本来ならばあるまじきことに、観客さえも意識することなく、ただただ互いに歌という暴力で殴り合っているような光景だった。
二人が中央へと歩み寄る。
歌声が、重なる。
二倍どころではない。共鳴する。三倍にも四倍にも感じられる声の圧力。
びりびりと身体の真ん中にまで響く歌声だった。割れんばかりの、とはよく使われる表現ではあるが、本当に物理的に会場が割れてしまうのではないか、観客にそう思わせる程の圧倒的な力強さだった。
盛り上がる程に冷たくなっていくような、異様な興奮が彼らを包みこんでいた。
如月千早の相手役としての最上静香。当初そう考えていたファンでさえ、ここに至って、二人は「如月千早と最上静香」として、対等の立場でステージに立っているのだと理解した。
静香の刃は、確かに千早へと、観客へと届いていた。
如月千早をも超え得る存在。
とうとう、最上静香はそう認められたのだった。
30: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/30(日) 00:45:42.37 :+e3phmGi0
『君に 憧れ』
そう、いつも静香の視線の先には千早がいた。
歌に憧れた。凜とした姿に憧れた。
そんな風に、いつか、自分もなりたいと思った。
だけど、どこかで、決して、届かない遠い存在なのだと決め付けていた。
でも、それは。
勝手な思い込みで。
手を伸ばせば届く距離で、貴方は――
『君を 待ち焦がれ』
――私に向かって、手を差し伸べてくれていた
『君に 憧れ』
そう、いつも静香の視線の先には千早がいた。
歌に憧れた。凜とした姿に憧れた。
そんな風に、いつか、自分もなりたいと思った。
だけど、どこかで、決して、届かない遠い存在なのだと決め付けていた。
でも、それは。
勝手な思い込みで。
手を伸ばせば届く距離で、貴方は――
『君を 待ち焦がれ』
――私に向かって、手を差し伸べてくれていた
31: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/30(日) 00:46:15.02 :+e3phmGi0
……がんばれ。
その呟きは、果たしてどちらに向けられたものだっただろうか。
互いの汗さえ降りかかりそうな歌い合い、殴り合いだった。
きっと、本来の振り付けも、立ち位置さえも乱して、千早と静香はそれぞれの中にある感情をぶつけ合っていた。
歌の、闘いの終わりは近いようだった。
一心にペンライトを振るファンがいた。
両の手を合わせ祈るように見守るファンがいた。
頬を流れる涙を拭うこともできず立ち尽くすファンがいた。
二人の歌声が共鳴する。
千早が、静香が、今日最大の気勢をもって呼応する。
既に互いを見やることさえ無く、ただ己が魂を主張するような叫びを振り絞る。
ここが決着だと誰もが確信に似た予感を覚える。
ロングトーン。
千早の声が伸びていく。
静香の声が伸びていく。
会場を越え、どこまでも、二人の声が――
……がんばれ。
その呟きは、果たしてどちらに向けられたものだっただろうか。
互いの汗さえ降りかかりそうな歌い合い、殴り合いだった。
きっと、本来の振り付けも、立ち位置さえも乱して、千早と静香はそれぞれの中にある感情をぶつけ合っていた。
歌の、闘いの終わりは近いようだった。
一心にペンライトを振るファンがいた。
両の手を合わせ祈るように見守るファンがいた。
頬を流れる涙を拭うこともできず立ち尽くすファンがいた。
二人の歌声が共鳴する。
千早が、静香が、今日最大の気勢をもって呼応する。
既に互いを見やることさえ無く、ただ己が魂を主張するような叫びを振り絞る。
ここが決着だと誰もが確信に似た予感を覚える。
ロングトーン。
千早の声が伸びていく。
静香の声が伸びていく。
会場を越え、どこまでも、二人の声が――
32: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/30(日) 00:46:53.12 :+e3phmGi0
◇
ステージの裏にいてさえびりびりと響くような歓声は、まだしばらく収まることはないように思えた。
冷ややかな熱が身体に残っていた。
とくんとくん。心臓のリズムが、震える指先にまで伝わってくるようだった。
「静香」
離れていても通るその声に、静香は振り返った。
「……千早さん」
こつ、こつ、こつ。
ゆっくりと、千早が静香へと向かって来る。
こつ、こつ、こつ。
静香も、ゆっくりと千早へと歩み寄る。
静香は、今度はしっかりと千早を見据えることができた。
競演前、そして競演中の険しさを感じさせない、柔らかな表情だった。
千早が握手を求める。
静香は、笑顔でそれに応じた。
両の手で握り締めた千早の右手は、思いの外小さくて、でも、とても重く感じられた。
◇
ステージの裏にいてさえびりびりと響くような歓声は、まだしばらく収まることはないように思えた。
冷ややかな熱が身体に残っていた。
とくんとくん。心臓のリズムが、震える指先にまで伝わってくるようだった。
「静香」
離れていても通るその声に、静香は振り返った。
「……千早さん」
こつ、こつ、こつ。
ゆっくりと、千早が静香へと向かって来る。
こつ、こつ、こつ。
静香も、ゆっくりと千早へと歩み寄る。
静香は、今度はしっかりと千早を見据えることができた。
競演前、そして競演中の険しさを感じさせない、柔らかな表情だった。
千早が握手を求める。
静香は、笑顔でそれに応じた。
両の手で握り締めた千早の右手は、思いの外小さくて、でも、とても重く感じられた。
33: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/30(日) 00:47:22.82 :+e3phmGi0
「ありがとう」
耳元で囁くように、千早は言った。
そのたった一言に、一体どれだけのものが込められていたのか、静香には想像もつかない。
だけれど、その感謝は、紛れも無く千早から静香へと向けられたもので、静香が自身の力で勝ち取ったものに違いなかった。
共に歌った今だから分かる。千早には千早なりの何かがあって、彼女はそれを静香にぶつけたのだ。静香が、そうであったように。
「ありがとう」
耳元で囁くように、千早は言った。
そのたった一言に、一体どれだけのものが込められていたのか、静香には想像もつかない。
だけれど、その感謝は、紛れも無く千早から静香へと向けられたもので、静香が自身の力で勝ち取ったものに違いなかった。
共に歌った今だから分かる。千早には千早なりの何かがあって、彼女はそれを静香にぶつけたのだ。静香が、そうであったように。
34: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/30(日) 00:47:58.51 :+e3phmGi0
「千早さん」
伝えたいことがあった。
「千早さんは、私の憧れです」
伝えたいことができた。
「でも、ライバルでありたいって。そう思いました」
「そう」
千早が笑みを見せる。
「――でも、千早さんは、憧れでいてください」
「……え?」
怪訝そうな千早に、静香は続けた。
「もっともっと成長して、いつか、私は千早さんを超えてみせます。でも、千早さんは絶対に超えさせないでください。やっぱり千早さんは凄い。私ももっと頑張らなきゃ。そんな千早さんであり続けてください」
そんな、矛盾だらけで、どこまでも自分勝手な意見を。
静香は、楽しそうに言うのだった。
「千早さん」
伝えたいことがあった。
「千早さんは、私の憧れです」
伝えたいことができた。
「でも、ライバルでありたいって。そう思いました」
「そう」
千早が笑みを見せる。
「――でも、千早さんは、憧れでいてください」
「……え?」
怪訝そうな千早に、静香は続けた。
「もっともっと成長して、いつか、私は千早さんを超えてみせます。でも、千早さんは絶対に超えさせないでください。やっぱり千早さんは凄い。私ももっと頑張らなきゃ。そんな千早さんであり続けてください」
そんな、矛盾だらけで、どこまでも自分勝手な意見を。
静香は、楽しそうに言うのだった。
35: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/30(日) 00:48:27.27 :+e3phmGi0
呆気にとられたのは千早だった。
少しの間、静香の言葉を反芻して、それから千早は苦笑いを浮かべた。
「……今日の静香にそう言われるのは、正直、かなりのプレッシャーなのだけれど」
恐らくそれは本心であったのだろう。
引きつったような笑み。そんな千早の表情を見るのは初めてだった。
「やれって私を煽ったんです。千早さんだって、やってください」
悪戯っぽく、静香が笑った。
一瞬、きょとんとした顔を見せた千早が、今度は明確に表情を綻ばせた。
ここに至って、もはや千早は負けを認めるしかなかった。
「ええ。ふふ、そうね、静香にだけ無茶をやらせるのはフェアじゃないわね」
「そうです。千早さんは――」
いつか、画面の向こうの輝きに惹かれた。
同じ世界に立って、それはもっと大きなものになった。
手の届く距離にまで来て、でも、それはやっぱり変わらずに、
静香の、心の真ん中にある。
「――私の、憧れなんですから」
呆気にとられたのは千早だった。
少しの間、静香の言葉を反芻して、それから千早は苦笑いを浮かべた。
「……今日の静香にそう言われるのは、正直、かなりのプレッシャーなのだけれど」
恐らくそれは本心であったのだろう。
引きつったような笑み。そんな千早の表情を見るのは初めてだった。
「やれって私を煽ったんです。千早さんだって、やってください」
悪戯っぽく、静香が笑った。
一瞬、きょとんとした顔を見せた千早が、今度は明確に表情を綻ばせた。
ここに至って、もはや千早は負けを認めるしかなかった。
「ええ。ふふ、そうね、静香にだけ無茶をやらせるのはフェアじゃないわね」
「そうです。千早さんは――」
いつか、画面の向こうの輝きに惹かれた。
同じ世界に立って、それはもっと大きなものになった。
手の届く距離にまで来て、でも、それはやっぱり変わらずに、
静香の、心の真ん中にある。
「――私の、憧れなんですから」
36: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/30(日) 00:49:00.49 :+e3phmGi0
◇
今か今かとうずうずしながら見守っていた未来と翼を先頭にして、十を越えるアイドルたちが静香と千早の元へと駆け寄って行く。
辿り着くなり、もみくちゃにされる二人の様子を見ながら、美希は、あはっと笑った。隣には春香と、すぐ傍にプロデューサーとジュリアの姿もあった。
「髪の毛直すの大変そうってカンジ」
「そうだね。あはは、メイクさんは……わ、流石、もう道具持って待機してる……」
「……春香は、行かなくて良かったの?」
「千早ちゃんとは、この後ゆっくりお話できるから」
「まさかの惚気だったの……」
「そ、そんなのじゃないけど……でも、美希の方こそ、良かったの?」
「ミキは……今はこうして、見てたい、かな?」
「そっか。……ねぇ、美希。ちょっと、羨ましいね」
「うん。すっごく、羨ましいの」
◇
今か今かとうずうずしながら見守っていた未来と翼を先頭にして、十を越えるアイドルたちが静香と千早の元へと駆け寄って行く。
辿り着くなり、もみくちゃにされる二人の様子を見ながら、美希は、あはっと笑った。隣には春香と、すぐ傍にプロデューサーとジュリアの姿もあった。
「髪の毛直すの大変そうってカンジ」
「そうだね。あはは、メイクさんは……わ、流石、もう道具持って待機してる……」
「……春香は、行かなくて良かったの?」
「千早ちゃんとは、この後ゆっくりお話できるから」
「まさかの惚気だったの……」
「そ、そんなのじゃないけど……でも、美希の方こそ、良かったの?」
「ミキは……今はこうして、見てたい、かな?」
「そっか。……ねぇ、美希。ちょっと、羨ましいね」
「うん。すっごく、羨ましいの」
37: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/30(日) 00:50:05.00 :+e3phmGi0
「……おいおい、ハル、美希」
「なぁに、ジュリアちゃん?」
「なんなの、ジュリア?」
「……お二人さん、今、自分たちがどんな顔してるか、分かってるか?」
「……おいおい、ハル、美希」
「なぁに、ジュリアちゃん?」
「なんなの、ジュリア?」
「……お二人さん、今、自分たちがどんな顔してるか、分かってるか?」
38: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/30(日) 00:50:43.54 :+e3phmGi0
ふふっ。
あはっ。
「プロデューサーさん」
「プロデューサー」
「次は、私の番ですよね?」
「次は、ミキの番だよね?」
静香と千早が巻き起こした冷たい炎が、燻り続けている。
ふふっ。
あはっ。
「プロデューサーさん」
「プロデューサー」
「次は、私の番ですよね?」
「次は、ミキの番だよね?」
静香と千早が巻き起こした冷たい炎が、燻り続けている。
39: ◆0NR3cF8wDM:2019/06/30(日) 00:52:18.49 :+e3phmGi0
以上です。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
参考
HOTCHPOTCH FESTIV@L!! アライブファクター
765の先輩組後輩組が共にステージに立った最高のライブなのですが、
amazonに限定版が7点だけ残っているようです!
お値段なんと16,343円!
0.18529478天井!
これは完全にお得!!
コメンタリーも是非ご覧ください!!
以上です。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
参考
HOTCHPOTCH FESTIV@L!! アライブファクター
765の先輩組後輩組が共にステージに立った最高のライブなのですが、
amazonに限定版が7点だけ残っているようです!
お値段なんと16,343円!
0.18529478天井!
これは完全にお得!!
コメンタリーも是非ご覧ください!!
40: ◆NdBxVzEDf6:2019/06/30(日) 01:15:18.35 :6qxDGfjWO
ミリマスでこういう千早SSは珍しいけどこの曲に合う話でよかった
乙です
>>2
最上静香(14) Vo/Fa
http://i.imgur.com/shRbIcW.jpg
http://i.imgur.com/v0ZXkwf.png
春日未来(14) Vo/Pr
http://i.imgur.com/iuy368T.jpg
http://i.imgur.com/aQyOApp.jpg
伊吹翼(14) Vi/An
http://i.imgur.com/r3Qhgty.jpg
http://i.imgur.com/QWjS9EX.png
>>6
如月千早(16) Vo/Fa
http://i.imgur.com/fRks4gt.png
http://i.imgur.com/RFRxkra.jpg
>>8
ジュリア(16) Vo/Fa
http://i.imgur.com/hiMDmRw.png
http://i.imgur.com/iT7Xn9F.png
>>11
天海春香(17) Vo/Pr
http://i.imgur.com/f6ombAr.png
http://i.imgur.com/7RYWSze.jpg
>>12
星井美希(15) Vi/An
http://i.imgur.com/EIm0YCz.jpg
http://i.imgur.com/Q849Ekn.jpg
「アライブファクター」
乙です
>>2
最上静香(14) Vo/Fa
http://i.imgur.com/shRbIcW.jpg
http://i.imgur.com/v0ZXkwf.png
春日未来(14) Vo/Pr
http://i.imgur.com/iuy368T.jpg
http://i.imgur.com/aQyOApp.jpg
伊吹翼(14) Vi/An
http://i.imgur.com/r3Qhgty.jpg
http://i.imgur.com/QWjS9EX.png
>>6
如月千早(16) Vo/Fa
http://i.imgur.com/fRks4gt.png
http://i.imgur.com/RFRxkra.jpg
>>8
ジュリア(16) Vo/Fa
http://i.imgur.com/hiMDmRw.png
http://i.imgur.com/iT7Xn9F.png
>>11
天海春香(17) Vo/Pr
http://i.imgur.com/f6ombAr.png
http://i.imgur.com/7RYWSze.jpg
>>12
星井美希(15) Vi/An
http://i.imgur.com/EIm0YCz.jpg
http://i.imgur.com/Q849Ekn.jpg
「アライブファクター」